文・写真=久利摩紀子(シンガー/タップダンサー)

タップダンスと生きてきた半生
下市町に住んで、タップダンスのレッスンをしたり、シンガーとして活動したりしている久利といいます。私は神戸で生まれて、甲子園で育ちました。社会人になってからは、OLをしながら大阪に住み、10年ほどニューヨークに住んだ後、夫が先に移住していた下市町で暮らすようになりました。

唐突にニューヨークという地名が出てきたので「何をしにアメリカに?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、タップダンスの勉強のためでした。

実は社会人になってから、ふとしたきっかけでタップを習い始めると、気がつけば夢中になり、毎日のようにレッスンに通いました。そのままカンパニーに入ったり、ティーチングをするようになったりしているうちにもっと見聞を広めたいと思い、渡米。
最初は3ヶ月の滞在だったのですが、もともとジャズ音楽が大好きだったこともあって、ニューヨークではほぼ毎日ジャズライブを聴きに行ったり、セッションに参加して歌ったり踊ったりしていました。ジャズクラブ遊びが日本では考えられないほどお金をかけずにできたので、毎日楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。


そんなある日、ジャズクラブのセッションで踊っていると、現地のミュージシャンに「ライブでタップを踊ってほしい」と誘われました。でも、そのライブの日程が帰国後だったために、オファーを受けることができませんでした。

ずっと、ジャズバンドでタップを踊る日を夢見ていたのであまりにも残念で、長期でニューヨークに住むことを決意。翌年、1年間のつもりで再び渡米しました。
すると今度はミュージカルに出会い、シアターダンスに出会い、ミュージカルのオーディションを受け始めてドツボにハマり、もちろんジャズライフも楽しくて、すっかり日本に帰りたくなくなってしまい、気がつけば10年が経っていました。

私はタップを始めたのも遅く、ずば抜けた才能があるわけでもないので、向こうではずっと大変でしたが、数は多くなくても本当に出たかったショーにも出演できたし、実力の割にはやりたかったことができたほうかなと思います。

そして、年齢のせいか前よりも脚が上がらなくなるなど、体の変化を感じて悩んでいたところにCOVID-19のパンデミックが起こり、それを機に帰国。夫のいる下市町に移住してきました。
こちらに住み始めてからも、一度ビデオ審査でミュージカルのオーディションに受かり、アメリカへパフォーマンスをしに行ったこともありますが、それを最後にスッキリ! もうアメリカでのパフォーマンスに未練はなくなりました。
それからは、少しずつですが自分の音楽活動を始めたり、タップダンスのレッスンを始めたりして現在に至ります。パンデミック後はオンラインがデフォルトになったため、仕事も辞めずに済んだし、オンラインでアメリカの音楽の授業も受けられたりと、田舎にいてもけっこう色々できるもんだと思います。
吉野との不思議なご縁
夫が住んでいたという理由で下市に住み始めた私ですが、実は少しつながりも。大学生の時に能楽部に所属していたのですが、4年生の時に演能をするというとても貴重な経験をさせていただいたことがあります。それが私の人生初のミュージカルなのですが、その演目がなんと「吉野天人(よしのてんにん)」だったのです。

この公演では、それまでの人生で一番努力したと思えるぐらい練習や準備をし、演能中は常に感情のピークにありながら、心から楽しんで踊り演じることができました。さらに、祖母を含む公演を観に来てくれた人たちに、「よかった!」と興奮しながら言ってもらえたことがとても感動的で、私がパフォーマンスをする人間になった原体験の一つになりました。
20年以上経った今振り返ってみて、そんな大切な経験をしたのが「吉野天人」という演目だったことがとてもうれしく、実は昔から吉野と縁があったでは?と思っています。

そんな吉野地域に来たからこそできたことが一つあります。特にニューヨークにいた頃は「人に雇ってもらってショーに出ること」が目標だったのですが、こちらに来てから初めて、自分の音楽活動として音楽に向き合う、という一歩を踏み出すことができました。
私にとっては大きな出来事だったのですが、昨年、仲良くしてもらっている身近なミュージシャンの方々とレコーディングをして、CDを作ることができました。レコーディングなんて自分には縁のないことだと思っていたのですが、ピアニストの方にとてもイージーに「うちでできるよー」と言われ、「え、そうなん?」となり、自分の曲を作ったのをきっかけにやってみることにしました。

吉野は田舎だし、都会に比べたらミュージシャンの数も圧倒的に少ないのですが、不思議と「ぜひこの人にお願いしたい!!」と思わされる素晴らしいミュージシャンが身の回りにいて、しかもピアニストさんの奥様が、いろんな事務的プロセスをものすごいスピードで片付ける敏腕遂行人で(笑)、チャットGPTの力も借りたりしつつ、おそらく普通よりも苦労せずにCDを完成させることができました。
後でよく考えたら色々まぐれだったと思いますが(笑)、何はともあれ自分の音楽を形にすることができて本当によかったです。協力してくださった皆さんありがとうございました!!
タップダンスを広めていく
こちらでタップダンスを教え始めて3年になります。タップダンスに出会える機会がない場所で、タップダンスを広めていく立場になったのは、今回が初めてです。
とは言え、私は人見知りなので、レッスンもできる範囲でぼちぼちやっています。それでも、ポツリポツリと生徒さんが来てくださり、発表会の場としても「吉野音街道」や「吉野山音遊戯会」のような楽しいイベントにタップチームとして毎年参加させていただいたり、御所の稲刈りイベントに呼んでいただいたりと、このあたりのタップ環境はとても充実しています。

私がリーダーとしてポンコツなので、「秘書」というポジションまでできてしまいましたが(笑)、優秀な生徒さんに助けられながら、少しずつタップダンスが認知されてきているような気がしています。今後は物事にひとつひとつちゃんと向き合いつつ、もう少しギアを上げて、この楽しみをもっといろんな人に届けていけたらと考えています。

下市に住んでいると、都会にはない地域の奉納行事のようなイベントがあったり、今までに出会ったことのない特別に好きな日本酒やレモングラスティーに出会ったり、わざわざ写真を撮りたくなるような綺麗な自然の景色が日常のデフォルトだったり……。

都会でばかり生きてきた私には今まで知ることのできなかった世界が広がっていて、今自分が日本文化のど真ん中にいるような気がしてきます。
今は日本人として、日本文化の中で生きていると感じることがとても面白いです。これからも、自分の音楽を少しずつでも深めていけたらと思っているのと同時に、歌やタップダンスを通じて、人に喜んでもらえるような活動をしていきたいです。

