下市町×赤膚焼 意外なマッチングは相性よし
赤膚焼窯元 大塩正窯 大塩 正さん
大和の伝統工芸・赤膚焼を代々受け継いできた家の出身の大塩正さんを下市町に誘ったのは自然と隣り合わせの暮らしへの憧れでした。大塩さん曰く「赤膚焼は『何でもありの焼き物』」。下市町の産物とのマッチングで新たな創作のインスピレーションが加わったといいます。伝統技術の下地があってこそ生まれる新しい表現。大塩さんにとっての新天地ともいうべき下市町で、暮らすことや創作することへの想いについてお聞きしました。
移住の決め手は「川」
「代々、赤膚焼きを続けている家の出身です。父が8代目です」赤膚焼の作家の大塩正さんは、3年前の大みそかに引っ越してきて、下市町に住んで作家活動をおこなっている。「私の母が黒滝村の出身なので下市もよく通っていました。この物件は6・7年前に空き家で出ていたのを見ていい所だなと思っていました。小さい頃から、きれいな川の横に家を建てたいなという思いがあって、ここはきれいな川が流れていたし、広いので住むことに決めたんです」
下市の人々の歓迎
「当時の区長さんが『こんなところに来てくれるんか!若い子が来てくれたら嬉しいわ』と言って歓迎してくださいました」下市町の人々の歓迎エピソードとして「朝起きたら、玄関に野菜が置いてある」という話を教えてくれた。「それが最初はどこの誰が置いてくださっているのかわからなかったので驚きましたが、後で教えていただいて挨拶するなど、良いお付き合いをさせていただいています」
何でもありの焼き物
祖父や父から伝統的な技術を継承してきた大塩さんだが、それとは別に美術展でも発表している。実は赤膚焼は全国でも珍しい「何でもありの焼き物」。江戸末期に、奥田木白が全国の窯元を巡り歩いて陶芸の技を身につけて帰り、掲げた看板は「諸国焼物写処」。つまり、全国の焼き物の写しを作るというもの。「私も伝統とタイアップしながら日展や日本現代工芸展でずっと発表しています。実際、父からは現代美術を教えてもらって、伝統技術を祖父から教えてもらいました」
変化する作風
「昔は貝の綺麗なパール色とか、シャープな線とか、薄い感じがすごく好きでそういうのをモチーフにしていました。下市町に来てから、フクロウやカッコウが鳴いていたりするので、『鳥』シリーズを作っています」ピカソも、青の時代があったり、ゲルニカがあったりなど、その時代の環境や心境の変化で作風が変わった。下市町への移住は大塩さんにも少なからぬ変化があったようだ。
地元産物で焼き物を
「下市の杉の木を灰にした『杉灰』を赤膚風の釉薬に調合しながら作ったり、ここの地名が『立石』といって雲母系の石が沢山取れるところなので、それを砕いて釉薬にしたり、地元のものを使いながらやっています」現在、仕事で依頼を受けたパスタ皿やピザ皿を下市風の奈良絵風の柄にすることも考えている所なのだとか。「例えば吉野の桜とか広橋の梅とか。鮎とか、柿の葉すしとか。作る楽しみや産みの苦しみを感じながらやっています(笑)」
体験コンテンツ
土から生まれる美 奈良独自の焼き物「赤膚焼」 絵付け/作陶体験
400年の伝統を誇る赤膚焼の歴史や特徴についてのお話を聞き、絵付けまたは作陶を体験いただけます。絵付け体験では奈良絵などの絵付けができます。作陶体験は整形から名前入れまでのすべての工程をご自身の手で作ることができます。
400年の伝統を誇る赤膚焼を継承する工房
赤膚焼窯元 大塩正窯