ここにしかないレトロ情緒。老舗料亭は転生復興の道半ば。
つるべすし弥助 宅田 太郎さん
「義経千本桜」といえば人形浄瑠璃や歌舞伎の演目のひとつ。その舞台となった寿司屋が下市町にあります。それが「つるべすし弥助」。町なかで、かつて賑わった路地に堂々と建つ木造三階の店舗は、内も外もレトロな情緒に満ちています。創業800有余年、下市町のキャラクター「ごんたくん」のモデル「いがみの権太」を祖先に持つ宅田太郎さん(次期50代目当主)にお店の歴史と日ごろの想いをお聞きしました。
下市町で一番の老舗
下市町に残る老舗中の老舗「つるべすし弥助」の源流は800有余年前と伝えられている。「義経千本桜 すし屋の段」の舞台となっており、その登場人物「いがみの権太」が祖先だと言われ、商売の記録としては400年ほど前、関ケ原の戦いの頃に京の朝廷に献上したのが最初らしい。「現在の当主は父親( 49代目)なんですけど、今は私が店を仕切らせていただいています。襲名制で、戸籍から名前を変えるのが代々の習わしです」と語るのは宅田太郎さん。べんがら塗りの朱色の建物は築年数80年以上。木造3階建ての店内には大小あわせて80席を誇る。
栄枯盛衰の歴史
古くから市場が開かれたことから、下市町は早くから栄えた土地柄。その中心というべき場所に位置する「つるべすし弥助」もたいそう繁盛したのではと思われがちだが、宅田さんはお店の歴史について「栄枯盛衰」と語る。「長い歴史のなかでは栄えてばかりというわけではないようです。もともと祖先が『いがみの権太』ですから、由緒正しいというか、どちらかというと『やんちゃな家系』だったのかもしれません(笑)いずれにしてもうちは鮨が原点なので、鮨からもう一度盛り返したいと頑張っています」
鮎料理を堪能
「つるべすし」とは、いわゆる熟れずしのこと。桶の中でシャリと鮎を2段重ねにして3日から1週間ほど圧して発酵させる。「義経千本桜 すし屋の段」に出てくる「つるべすし」がまさにこれで、押している桶の形状が井戸水を汲む釣瓶(つるべ)に似ていたのが由来だという。 現代の鮎の押しずし、箱ずしの源流であるが、現在、弥助で熟れずしは作っていない。鮎を中心とした懐石料理店となっている。年間を通じて鮎料理を堪能できるが、6月の若鮎の時期には肌艶が良く柔らかい鮎の姿鮨を味わうことができるのだとか。
つるべすし弥助の「これから」
宅田さんは、弥助の強みは良い意味での「田舎っぽさ」にあるという。例えば京都の洗練された座敷に対して、弥助にはほっこりくつろげるレトロな座敷がある。また先々代の祖父が大事にしていた庭園も見逃せない。店の設えは、一つひとつが取り上げると上質で、磨けば光るものばかりだ。「まだまだ思案中なのですが、建物と庭を手入れして、歌舞伎や浄瑠璃の演者と発信していければ。例えば月1回でもここを完全に貸切にして、1 組様限定という貸切プランも面白いと思っています。当店の看板はよそに負けないと思ってるので、それをどう生かすか考えていくのが私の仕事です」
鮎料理を中心とした懐石料理や鮨定食
つるべすし弥助